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ヤフーの考古学・その8 (注)とくに断りのないかぎり、ヤフーとは米ヤフーのことです。
1999年12月、フォレスター・リサーチのC. リーは次のように宣言した。
「ポータル戦争は終わった。勝者はヤフーとAOL」 - The Parting Of The Portal Seas - December 1999
CNET NEWSは、ヤフー最良の年となったこの年を次のように締めくくる。
「ヘビー級ポータルのヤフーの株価はなんと448ドル、ひえ~」 - Yahoo hits new 52-week high - December 30, 1999
その1年後、2000年の締めくくりはこうだ。
「ヤフーは2番目に訪問者の多いウェブ・サイトであるが、ウォールストリートの幾人かのアナリストはこのポータルへの情熱を失いかけている。何が起こったのだろうか?」 - Can Yahoo remain a winner? - December 30, 2000
何が起こったかについては、すでに多くの報告がなされているので多くは言わない。3つだけ指摘しておく。ドットコム・バブルが崩壊したこの年(2000年)、ヤフーは絶好調だった前年をさらに上回り過去最高の売上を記録している。翌2001年はどん底だといわれているが、売上は2000年の約65%である。2001年第2四半期のネット広告シェアはAOL(44%)MSN(10%)ヤフー(9%)で、ヤフーは1年間で6ポイント落としている。
2001年4月にCEOを引き継いだテリー・セメルがやったことは、落ち目になった企業ならごく普通に考える策で目新しくもなく特に優れているともいえない。新しいサービスに大金を注ぎ込むのをやめ、今あるサービスをもっと充実させることに注力する。そう、集中と選択、あれですね。最初にやったことは、だぶついた部門の整理とリストラ。その後も、2003年にオーバーチュアを買収するまでは大したことはやっていない。これで立ち直れるなら、そもそも本業の路線は間違っていなかったということで、ヤフーもそうであったことはいずれ立証されるのであるが、当時のウケは最低だった。
ヤフーが帝国の軍門に下ったのは、AOLタイムワーナーの持つ強力なコンテンツとマス・メディアを、彼らが持っていないからだ。2000年1月にはディズニーとCBSの合計よりも高い時価総額で、AOLさえも買収できたのに、独立路線を貫いたことは大失敗だった。だいたい広告だけでやっていこうなんて考えが甘い。同じ広告するなら、テレビや有名雑誌に広告が載るほうがいいに決まってる。映画もテレビも新聞も雑誌もあるAOLにかかればネット広告なんておまけみたいもんだ。セメルって、結局スクエアなんでしょ。
そのAOLさえ業績不振に苦しんでいた2001年11月、テリー・セメルはヤフーの将来ビジョンを発表する。その柱は、「さらなる多角化戦略」で、76%を占める広告売上比率を2004年には50%まで引き下げる、とするものであった。同じ席で、ブロードバンド・サービスの提供とオーバーチュアのスポンサード・サーチの導入を発表している。
セメルはネット広告の未来を悲観していたのだろうか。そんなことはない。ただちょっと慎重だっただけだ。11月のカンファレンス・コールは、多角化路線を支持する投資家やアナリスト向けのリップ・サービス的要素が強い。いや、本人は大真面目だったかも知れないが、スポンサード・サーチの導入を同時発表したことは、ネット広告の新しい可能性に賭ける意思表示でもあった。
大方の反応は、セメルの想定内でサービスの有料化と大規模なリストラに集中し、好意的ではあるが冷ややかだった。
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