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日付 2007/11/05 16:06
 
タイトル 日本のブランド・その1---山高印(羊)
 
カテゴリ
ブランドとその周辺
 

司馬遼太郎「菜の花の沖」の主人公、高田屋嘉兵衛は江戸時代の商人である。運送屋であり商社CEOでありデベロッパーでもあった。漁場を開拓し、船も造った。酒・塩・タバコ・もめん等を函館に運び、函館からは魚粕、昆布等を大坂に持ち帰った。

嘉兵衛は,現在でいう起業家精神を発揮し,大型船の建造や,多数船の運行,動くデパートと言われる店頭市を開いたり,市場ニーズの情報収集にもあたりました。嘉兵衛が各地へもたらすものは,非常に信用があり,強力な「ブランド」力を持っていました。さらには,組織経営にもその才能を発揮しました。
- 高田屋嘉兵衛から学ぶ(公立はこだて大学 教授 鈴木 克也)

高田屋が扱う商品ブランドは、山高印と呼ばれていた。運送用のパッケージ(たとえば菜種油を運ぶ樽)に、山の下に高の字の、「焼印」がついていたからである。「焼印」は「ブランド」の語源とされている。山高ブランドには「非常に信用」があったのはなぜか?鈴木教授の記述にはその答がないので、代わりに北の旅人さんに聞いてみる。

文化三(1806)年、高田屋嘉兵衛は蝦夷地産物売捌方を命じられて、幕府の蝦夷地経営に深くかかわるようになった。取り扱う商品の品質管理を厳密に行った為、山高印の商品は絶大の信用を得ていた。
- 箱館の高田屋本陣(北の旅人)


高田屋のれん(高田屋顕彰館 復元)
※ 写真は「輝の窓」より

蝦夷地産物売捌方のご威光が加わる以前からずっと、山高印の商品が絶大の信用を得ていたわけは「取り扱う商品の品質管理を厳密に行った為」である。嘉兵衛が辰悦丸に積み込んだ商品、たとえば菜種油の四斗樽には正味四斗(72リットル)の油が入っていた。当時の四斗樽には上底二斗と呼ばれる正味二斗(36リットル)入りもあったというから、表示偽装も日常茶飯事のことだったに違いない。もちろん中身は正真正銘まじりっけなしの菜種油である。水で薄めるなどという増量手段はとらない。山高の焼印が押された四斗樽が信用を勝ち取るのは、あっという間であったと思われる。


「辰悦丸」(しんえつまる)
燻し瓦模型 1798年(寛政八年)28歳の嘉兵衛がはじめて建造した千五百石積み北前船。寄 贈:池田 公氏・池田 透氏(高田屋顕彰館 蔵)
※ 写真は「輝の窓」より

嘉兵衛のとった戦略は、優れた製品を、適正表示し、適正価格で販売すること。これこそ、P&Gが120年もの間秘密にしてきたブランド戦略に他ならない。もちろん、わが高田屋の創業はP&Gが生まれる1世紀も前のことである。

[18:55追記]高田屋七代目の講演録より

高田屋の経営方針は、現在の経営者に求められていることを当時(約200年前)すでに実行しておりました。
3-1 安全運行管理(略)
3-2品質検査
単に採集商品を梱包していた時代に、多くの等級を設け、量目を明示し、厳正に管理しました。
3-3商標信用の確立
品質管理の完全な高田屋の山高印ブランドは、日本中に、検品なしで流通しました。この事は約200年前としては大変な信用でした。
3-4技術革新(略)
3-5流通革命(略)
3-6開発(略)
3-7人事管理(略)
3-8利益の社会還元(略)
- 高田屋嘉兵衛と近代経営(高田嘉七・佐野ヨシ房)PDFより抜粋

[本日の知恵のネットワークス]

菜の花の沖 DVD-BOX 出演: 竹中直人, 鶴田真由

日露衝突を回避せよ(そのとき歴史が動いた)


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投稿者 CMO
 
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