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日付 2007/11/07 16:59
 
タイトル 越後屋のクロスメディア戦略(羊)
 
カテゴリ
ブランドとその周辺
 

日本のブランド・その2:
日本のブランド、2回目は越後屋である。前回ではブランディングの正攻法である「ひと目でそれとわかる優れた製品品質」について、高田屋のとった戦略をざっと眺めた。今回は、越後屋の「メディア戦略」をとりあげる。

製品はそれ自身では何も語らない。優れた製品品質に見合った商品情報が、反復して市場に伝達され、市場の側に蓄積されてある閾値を越えたところで、はじめて「ブランド」が成立する。商品情報(ブランド情報を含む)を市場に伝達する手段(または経路)をメディアと呼ぼう。高田屋(山高)のブランディング・メディアは主に満足した顧客「クチコミ」であった。クチコミの世界では、山高印のロゴマークが製品品質とセットになっていたことは想像に難くない。それでは越後屋が得意としたメディアは何だったのだろう。

この(D.アーカーの)ブランド資産論も、同じころ発生したIMC論も、大恐慌のあとのマーケティング論も同様である。ピーター・ドラッカーの指摘どおり、三越の前身、越後屋が1683年にマーケティングを実践している。IMCも吉原遊郭で長い間行われてきた。
- 八巻俊雄(JMAマーケティング eニュースレターVol.170)

吉原遊郭のIMCについては別の機会に譲るとして、越後屋のメディア戦略もまたIMC=戦略的クロスメディア・マーケティングと言えるものであった。ところで、ドラッカーも認める越後屋のマーケティングとはどんなものであったのか。本題の前に、ざっとおさらいしておこう。


現銀(金)掛け値なし
上記に掲げた絵をご覧下さい。この絵は江戸時代中期に描かれた越後屋呉服店 の店内ですが、左の柱に「現金掛け値無し」と書かれているのが見られます。これは今では当然のことですが、商品は値札の通りに販売するというシステムで す。当時は店員と客との間で交渉して値を決める「掛け値」という方法で買われていましたが、越後屋はいち早くその習慣を立ちきり、値札通りの商売を始めた のです。これが日本におけるデパート商法の起源と言われています。また天井には人の名前のようなものが書かれた札が掛けられていますが、これは 使用人(手代や番頭)の名前です。これは一人が一つの商品のみを担当して、一つの商品に対する商品知識を豊かにして、客への対応を満足のいくものにした、 というシステムです。これにより、「どの品物なら誰々」という様に商売の合理化や迅速化が図られました。こうして越後屋は大繁盛をしたのです。
- 歴史探検・第12回(歴史資料室ホームページ)

三井高利(越後屋の創始者)が実行した手法は、今ではCRMと呼ばれるマーケティング・マネジメントである。上記以外にも、店頭販売(これだけでも革新であった!)、即日仕立て、反物切り売りなど現代的な手法を次々に繰り出している。余談ではあるが、ドラッカーが越後屋をマーケティング(マネジメント)の祖と持ち上げる件は、八巻先生の記述以外には見られない。あるいは八巻先生がドラッカーから直にお聞きになったとっておきのエピソードか(たとえば、世界で初のマーケティングは日本の三井越後屋呉服店?参照)。

さて、クロスメディア戦略である。天和3年(1683)、三井高利は日本橋駿河町に新店をオープンさせる。前年末の火災(八百屋お七火事)で本町の店舗が焼失し、移転してきたのである。高利は新店舗グランド・オープニングの告知媒体として、引札を最大限に活用する。引札とは、今で言う「ちらし」のことである。その内容は次のようなものであったと伝えられている。

<越後屋引札> 注:現代語訳したもの。
『駿河町の越後屋八郎右衛門からお知らせいたします。
このたび、わたくしはひと工夫して、呉服物は何によらず、格別お安く売り出させていただきますので、どうかわたしの店にお出向きになり、お買い上げいただきたいと存じます。
しかし、どなた様のお宅にも品物を持参しての訪問販売はいたしません。
もっとも、私どもが正札販売で売り出しました以上は一銭といえども嘘の値は申し上げません。従って、たとえお客様がお値切りになりましても、一切値引きするようなことはいたしません。
もちろん、代金は即座にお支払いいただきたく存じます。一銭といえども掛売りはいたしません。 以上
呉服物現金安売り掛値なし
駿河町二丁目 越後屋八郎右衛門 』
- 江戸の広告文化(2)

これをもって引札の祖とするのが通説だが、それ以前から流通していたようで、主に安売りの広告手段であったことは今のちらしと同様である。高利の慧眼はこの引札を、越後屋の経営方針を広く江戸中に伝えるメディアとして、活用したことである。「広く江戸中に」を可能にしたハードウェア=木版印刷技術(単色摺り)は、当時すでに一般に普及していた。そして、テクノロジーの進歩はもう一つのメディアを生み出す。錦絵(多色摺り)である。

江戸時代の宣伝広告を見てみると、面白いことに気がつく。暖簾、看板の類、それに引札、景物本などは広告らしい広告であるから「直接広告」とするとする。 もうひとつ、錦絵の中で画題として取り上げられた商店や名物を売る店などは、表向き名所図会であるが、考えてみるとこれも立派な広告である。金銭の取り引きがあったかどうか定かではないが「間接広告」といえるのではないだろうか。
- 江戸の広告文化(1)


「名所江戸百景」より(歌川広重 安政5年(1858))


駿河町越後屋正月風景(鳥居清長 天明の頃 18世紀末)
 
自店の載った錦絵を大量に購入して顧客に配る「お買い上げ出版」であれば「直接広告」に入れても差し支えない。商品(呉服)も描かれているので、今なら、プロダクト・プレースメントと呼ばれるかも知れない。

その他、越後屋が実施したクロスメディア・マーケティングの一つに「振る舞い傘」がある。突然の雨に困っている客や通行人に配る「越後屋」の字と紋章の入った傘。この振る舞い傘 はかなり人気があり、また「越後屋」の名前を江戸に広める役割を果たしており、以下のような川柳でも残されている。

・夕立に振舞い傘を三井出し
・江戸中を越後屋にして虹がふき
- 歴史探検・第12回(歴史資料室ホームページ)

川柳!今ならユーミンに歌われたビール工場のような効果を生み出したのだろうか。

もう一つ、駿河町越後屋の繁盛ぶりについて、井原西鶴は「日本永代蔵」の中で大商人の手本と絶賛している。村上春樹の小説に登場するダンキン・ドーナッツのようなもんか。

[関連サイト]

日本のブランド・その1---山高印(羊)

カスタマー・ボンディング(羊)


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投稿者 CMO
 
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